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トマス・ステュアート (第2代アンガス伯爵) : ウィキペディア日本語版
トマス・ステュアート (第2代アンガス伯爵)
第2代アンガス伯爵トマス・ステュアート(、1331年ころ - 1361年) は、中世スコットランド王国貴族
トマス・ステュアートは、ジョン・ステュアート・オブ・ボンキル (John Stewart of Bonkyll) とマーガレット・ド・アバーネシー (Margaret de Abernethy) の息子であった。初代アンガス伯爵だった父が死んだとき、ステュアートはまだ幼児だったが、父が遺したベリックシャー (Berwickshire)、アバーネシー (Abernethy)、アンガスの所領と爵位を相続した。
1353年、ステュアートは、ロスリン (Roslin) のウィリアム・ド・サン・クレール (William de St Clair) の娘、マーガレット・シンクレア (Margaret Sinclair) と結婚した。義父にあたるサン・クレールは、既に1330年に、スコットランド王ロバートの心臓を聖地へ運ぼうとしたダグラス卿 (James Douglas, Lord of Douglas) とともに、テバの戦い (Battle of Teba) で討ち死にしていた。この結婚への承認を求める請願は、フランス王ジャン2世の介添えを得て聖座に送られているが、これは若きアンガス伯爵がフランスの宮廷に身を置いていたことがあったことを示唆している〔Scots Peerage.Vol I, p.170〕。
1355年ベリック攻城戦に加わったアンガス伯爵は、ネビルズ・クロスの戦い (Battle of Neville's Cross) 以来10年間囚われの身であったスコットランド王デイヴィッド2世の解放交渉にあたった貴族たちのひとりとなった〔。1350年代のいずれかの時点で、ステュアートはスコットランド式部長官 (Great Chamberlain of Scotland) に任じられたが、1359年までのいずれかの時点でこの職を辞し、ウォルター・ド・ビガー (Walter de Biggar) が後任となった〔Maxwell.Vol II.p.3〕。
アンガス伯爵は、1360年ソートラ (Soutra) で起きた、デイヴィッド2世の妾キャサリン・モーティマー (Catherine Mortimer) 殺害の陰謀に関わったひとりと見なされ、拘束された。ダンバートン城 (Dumbarton Castle) に投獄されていた間に、腺ペストに倒れ、没した〔。
== 妻子 ==
トマス・ステュアートは、マーガレット・シンクレア との間に2人の娘をもうけた。
* マーガレット・ステュアート (アンガスおよびマー伯爵) (Margaret Stewart, Countess of Angus and Mar) - ジョージ・ダグラス (初代アンガス伯爵) (George Douglas, 1st Earl of Angus) の母。
* エリザベス・ステュアート (Elizabeth Stewart) - キャゾー(Cadzow:現代のハミルトン, Hamilton)のジョン・フィッツ・ウォルター (John fitz Walter) に嫁ぎ、ハディントン伯爵の家系の先祖となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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